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週刊!木村剛「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか?

うちの弟(小学校4年生)は、小学校3年生の時にはじめてインターネットをしました。どうやら遊戯王カードの強い組み合わせを知りたかったみたいで、検索エンジンを教えてあげると、一生懸命「強い遊戯王」と入力していました。

ある日、「おにーちゃん、見て見て。ホラ。」といわれたので見てみると、パソコンのモニタ上には、弟の本名と住所がキラリ。

「え?どうしたの!?コレ?!なんでこんなの載ってるの!?」と聞くと

「名前とアドレスってとこに、ちゃんと書けた。漢字合ってるでしょ?!」と自慢顔。どうもBBSの名前欄とアドレス欄をカンチガイしたらしい。急いで書き込みを消去し、「本当の名前も住所も書いてはダメ」と教えました。

さてさて、今回の木村氏のblogは、そんな「ネット上での匿名性にまつわる論争」の一つです。3つのエントリー(書き込み)の要旨をまとめると、以下のようになります。少し見てみましょう。

5月8日「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているのか?

・匿名の人と実名の人が対等なコミュニケーションを取る事は困難である
・匿名の人は、過去や個人的プロフィールが秘匿であるばかりでなく、状況によっては、即座に名前を捨ててエスケープ可能である
・実名の人は、過去の様々な発言や著作・個人的プロフィールが公になる可能性があり、それらが時に非難や罵詈雑言の対象となる。また、エスケープも困難である
・読者に意見を聞きたい。「匿名性と言論の自由の関係」と「匿名の人はコミュニティを壊す権利があるのか」

5月10日「ご批判はできれば直接私に対してお願いしたい

・木村氏への批判は本人にすべきであり、関係者への批判はやめてほしい
・悪意ある批判が軽軽しく行われるのは、非常によくない。ルールとして排除すべきではないか、という提案

5月13日「モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために

・匿名性も重要である
・blogは匿名性が完全ではなく、批判をする際には名誉毀損等の訴訟も視野にしれた責任ある発言が求められる
・匿名性の元の悪意ある批判は、インターネットの匿名性を規制させる要因になるかもしれない


これらをまとめてみた結果、感じた事があります。

一つは、木村氏の話の中の「匿名性」と「匿名性の陰の悪意ある批判」が混同されやすく記述されている点です。

最初のエントリーのタイトルにあるとおり、「匿名の人はコミュニティを壊す権利・・・」とあります。この時の「匿名の人」とは、もちろん、実名以外のHNを指します。例えば、2ちゃんねるにおける「名無しさん」や、その場限りの捨てハンドルネーム等を中心として、包括的にHN全体をさしているかのような感じがします。

しかし、木村氏が「けしからん」と言っているのは、悪意ある批判を捨てハンドルネームや「名無しさん」で行うような人たちの事であると考えられます。このギャップが、読み手の神経をザワザワさせてしまいます。

例えるなら、「アメリカ人は戦争マニアなのか!?」と発言するのと同じです。確かにアメリカはベトナムやらイランやらイラクやら、と第三者国の戦争に介入し、派兵します。その事を指して「戦争マニアなのか!」と言うのは意見として正当だという事ができるかもしれません。

しかし、それはサンフランシスコで「ガンダム最高ネ!」と言っている善良なアメリカ人男性ジョニー(仮)には当てはまらないでしょう。前述の発言を正しくするのなら「現在のアメリカ軍は戦争マニアなのか!?」であり、「アメリカ人には、戦争を肯定的に捉える人もいるが、否定的に捉える人もいる」とすべきです。

このような、インパクト重視の誤解されやすい発言は、(大きな声では言えませんが)社会においてトラブルの原因となるでしょう。物書きする上では要注意!だと思います。

つまり、「匿名の人は・・・」というタイトル、そして文中での明示的な「線引き」のあいまいさが、読み手の混乱と反感を招いているという問題です。

数学的に表現するのなら、インターネットコミュニティの参加者の集合Uを、木村氏は「実名」の集団とそれ以外の「匿名」の集団に分けました。
その上で、匿名の集団の中の一部、「匿名かつ悪意ある批判をする人々の集合」を批判するつもりで「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているか?」と表現しました。
すると、関係ない人々まであたかも批判されているようになります。

ですが、多くのトラックバックが指し示すように、「悪意ある批判をする人々」は、少数かもしれませんが「実名」の集団にも存在します。

その点から、木村氏の「匿名の人はコミュニティを壊す権利を持っているか?」という言い方は、多くの人の反感を買うのではないでしょうか?つまり、「そもそもの線引き自体に問題があり、そのような提起の仕方をするのはダメだ」と。

もう一つめの問題は、メッセージの問題です。

木村氏は、最初のエントリーで問題提起をしました。「匿名の人はコミュニティを壊す権利があるのか?」と。その結果、50を超えるTBがありました。静観を決め込むTBもありますし、もちろん木村氏を応援TBもあります。僕のように反論や異論を唱えるTBもあります。

ですが、これは実は、問題提起ではありません。問題提起のフリをした意見なのです。これは、TAにおける「裏面的交流」にあたります。

さ、ウサ田さん、お客さん、ちょっと説明してください。

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お客:ウサ田さーーーん!!聞いてくださいよ!

ウサ田:どうしたウサ?

お客:実は、このまえ、車のショールームに行ったんです!外車のショールームですよ!
ウサ田:おぉ、外車を買うのウサ!?そんなお金があるなら、ご飯をおごって欲しいウサ!一本でもニンジン!!二本でもニンジン!!

お客:ち、違いますよ!なんか、カッチョイイから見学ですよ。いわゆる「見~て~る~だ~け~」ですよ!!

ウサ田:な、なんだ。そうウサか。んで、どうしたんだウサ?

お客:それが、見てるだけなのに、「何かお探しですか?」とか「ただいまお買い上げになりますと、無料オプションがついてきますよ?」とか、激しく聞いてくるんですよ!最初に「いや、見てるだけなんです」って聞いてるのに、しっつこいんです!!おかげでそそくさと退散しました~・・・うぅぅぅ・・・

ウサ田:そ、そうウサか。まぁ、しょうがないウサ。いわゆる裏面的交流ってヤツウサ。
お客:なんです?ソレ?

ウサ田:心理学の技法の一つで「交流分析」(TA)で分析されるコミュニケーションの一つなんだウサ。

お客:なんでしょう!?交流分析って!?

◎交流分析

ウサ田:交流分析は、「精神分析の口語版」と言われる、とっても簡単で奥が深い性格分析の方法なんだウサ。エゴグラムと呼ばれるペーパーテストの結果、人の性格をP(ペアレント)A(アダルト)C(チャイルド)の3分類、そして細かく5分類して、それぞれの強さ・弱さで性格を分類するんだウサ。

お客:へぇ~・・・例えば、どんな感じですか?

ウサ田:そうウサね。まぁ、参考程度に載せるウサ。

CP(クリティカルペアレント):厳格・批評・叱咤・父性的
NP(ニューチュリングペアレント):やさしさ・世話・保護・母性的
A(アダルト):現実感覚・損得勘定・能率・有効性
FC(フリーチャイルド):自由奔放・天真爛漫・無邪気・わがまま
AC(アダプテッドチャイルド):従順・勤勉・優等生


ウサ田:さしずめ、お客さんはFCが強そうウサね?あとAも低そう・・・クスクス・・

お客:ひ、ひでぇ~

ウサ田:まぁ、エゴグラムというテストを受ければすぐわかるウサ。んで、さっきの裏面的交流っていうのは、コミュニケーションを行う2者が、PACを媒介にどんな交流をしているのか、って分析なんだウサ。「やりとり分析」なんて呼ばれるウサ。

◎相補的交流

ウサ田:お互いに相性の良い特性同士の交流だウサ。例えば以下のようなやりとりウサ。
CP(厳格)「早く勉強して、さっさと寝なさい!!」⇒AC(従順)「うん、わかったよ!!」

お客:な、なるほど。確かに、CPとAC、NPとFC、AとAとか、相性よさそうですねぇ。

◎交差的交流

ウサ田:一方、自分の言葉に対し、想定していたのと違う要素で返答された時のやり取りが、交差的交流と呼ばれるものだウサ。嫌な気分で会話が終わってしまうウサ。

A(合理)「あの、質問があるんですが。」⇒CP(厳格)「つべこべ言わなくて良い!」

お客:あらあら。本当は、AにはAで返して欲しかったのにねぇ。

◎裏面的交流

ウサ田:これは、表面的なメッセージの裏に、隠れたメッセージがあるものだウサ。釈然としない感じがするウサ。

A「他に、意見はありませんか?」(実はFC(わがまま)「もう、意見いらないよっ!」⇒A「ハイ!意見があるのですが!」

ウサ田:お互い、釈然としないウサね。「意見ありませんか?」と聞いておいて、意見があったら「えー、マジで?めんどい」と思い、そして「あれ?なんで意見言ったのにイヤな顔するんだろう」ってなるウサ。

お客:ありがちですね・・・・って、僕のがコレだったんですか!?!

ウサ田:そうウサ。表層的には、お客さんのために発言しているんだけど、裏じゃ「買わないの見え見えだから早よ帰れ!」ってメッセージがあったわけだウサ。

お客:う、うわぁ・・・・確かにそうかも!帰って欲しけりゃ、そう言えよっ!な、泣きながら帰ってやる・・・・うぅぅわぁぁぁぁんん!!!!

ウサ田:あらあら、お客さん、泣きながら帰っちゃったウサ。まぁ、裏面的交流も交差的交流も、合体して、「交差的裏面交流」になったりすると、コミュニケーションはこんがらがる一方ウサ。生産的なコミュニケーションでありたいものウサね!

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木村氏の2つ目・3つ目のエントリーの内容は、もちろん「匿名性の人はコミュニティーを壊す権利を持っているのか?」という問題提起に呼応した様々なTBへの回答です。しかし、実際はあまり回答していません。

TBした人の多くの争点は「匿名VS実名」論についてであり、「匿名を隠れ蓑に批判する人」については「そりゃアカンだろ」というスタンスだと思われます。その上で「でも、実名よりも匿名の方が最適」「そもそも実名・匿名の区別は不適」という主張がなされています。

でも、木村氏の3つ目のエントリーの内容では、それらは議論の中心に来ていません。結局、訴訟や2ちゃんねるの話であり、匿名性を隠れ蓑にした批判は、匿名性の寿命を損ねるという意見に終始しています。読み手はこう思うでしょう

「んで、匿名VS実名はどうなってん?」

まず、一つ目の問題としての「匿名」と「匿名を隠れ蓑にした悪意ある批判」の不明瞭な線引きもありますが、それよりも、1つめのメントリーで問題提起しておきながら、それが裏面的交流だった。つまり、「問題提起・意見を集める」ではなく「問題発生・オレの意見を聞け」だったように思います。

読者の意見を募集しておきながら、実際は意見を元に結論を導き出すわけではなく、予め決められた結論を導くための取っ掛かりにしているわけです。それでは、意見を書いた50人以上分のTBは電子のもずくになったのと同義ではないでしょうか。それでは、コミュニティのホストとして問題があると思われても仕方ないのかもしれません。少なくとも、コミュニティのメンバーが不満に感じた事は確かでしょう。

弊blogの「ペルソナ・コミュニケーション」シリーズでも扱いますが、ネット上における討論、特に意見を集め、結論を導くタイプのものには様々な困難が生じます。それでも、人がネット上で意見を戦わせたいのは、誰もが常に「意見発表したい!私の言葉を聞いて欲しい!」という欲求を持っているからです。それは、木村氏も同じだし、匿名の人たちも同じです。貴賎はありません。もしも、その発言の重みの軽重を「名前」で判断するのなら、木村氏はまだまだ意見を集めるにふさわしい経験を有していないかと思います。

蛇足になりますが、僕の意見としては、「実名VS匿名」という議題を持ってくる事はともかく、それに対して「実名も匿名も関係ない!コミュニティがどんな準拠集団なのか!!マスターがどんな風にコントロールするのかが問題なんだ!!」というような明確な答えを出さぬまま、終わったのは悲しい事だと思います。

会議で意思決定するのと、ネット上で意思決定するのは全く違う作業です。一人で本を書くのと、ネット上でblogを書き、TBやコメントをもらうのも、違う作業です。本と違い、読み手は参加者であり、blogの一部です。会社と違い、構成員は立場や利害を超越して集った「有志」です。名誉毀損の訴訟は悪意ある風評被害の抑止力のためには存在意義がありますが、経済力のない人は意見表明してはいけないという結論にはなりません。(木村氏はそういう意図ではないと思いますが、そう言ってるように聞こえかねません。『貧乏人は米を食うな』と同じですよね、それだと。)

これらの違いを認識した時、木村氏が2ちゃんねるの管理人であるひろゆき氏と比肩するのではないでしょうか?

いや、これ、疑問じゃないよね。「比肩すると思います」だよね。
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by uzada | 2004-05-13 21:39 | おばかなつぶやき
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